【活動報告】「障がい者」の定義(現地訪問より)
By 中崎 ひとみ 2013年12月22日

皆様こんにちは。
中崎さんの学生伴走者を勤めております篠崎佑太です。
これから公志園期間中に何度か皆様にチーム中崎の活動経過をお届けして参りますので、
どうかよろしくお願いいたします。

最初の記事ということで、まず中崎さんがどのような活動をなさり、何を行動理念の根底に
置いているのかを紹介したいと思います。


先日11月29日にチーム中崎の伴走者一同とともに中崎さんのホームベースである「共生シンフォニー」にお邪魔いたしました。中崎さんとその仲間の皆さんが運営する「共生シンフォニー」は、障がい者福祉という枠組みの中にありながらも、その枠を飛び出さんばかりの様々な事業をやっています。パンフレットを見ただけでも、障がい者雇用のクッキー工場やカフェ、障がい者福祉デイケアセンターと、更には老人デイサービスセンターと来年からは障がい者のための大学まで・・・。しかし、これは裏を返せば「何だかやりたいことが見えてこない」、「支援対象がぼやけてしまっている」、と言えない事もありません。伴走者の方々も、今回訪問に来る前までは、そのようなことを危惧していたようです。しかし、今回の見学を通して、「共生シンフォニー」がこういう形態に必然的になった理由を見ることができた上、私たち伴走者一同の世界観までもが揺るがされた非常に有意義な訪問となりました。

衝撃はいくつかの波に分かれてやってきました。一番最初の衝撃は「まちかどプロジェクト」という障がい者デイケアセンターを訪問した時でした。「障がい者福祉」という重いテーマの現場とは一体どのようなものなのか、勝手に色々と想像をしておりました。

しかし、この懸念は実際に施設の状況を見て一気に吹き飛んでしまいました。

なんと笑顔溢れる現場なのでしょう。更にすごかったのがいわゆる「スタッフ」と「介護される人」のような上下関係が支配する空気が全くなかった点です。下手をすればスタッフと通っている人の区別がつかない、なんてこともありえるくらい皆とても「自然」に笑ってました。実際中崎さんは障がいをもつ人々に何度も忘れ物をしそうなところを助けてもらっているとか(笑)。極めつけはそこに頻繁に遊びにくると言う近所の子ども達。来たい時にきて遊んで帰っていくそうです。楽しい場所だからこそ子どもが来てくれて、また子どもも空気を明るくしてくれます。このような相互補助的な「自然体」という考えが、中崎さんの行動理念の根底にあるのだそうです。

見学は続き、次に見せてもらったのがお風呂場。

体が不自由な方が入りやすい用にスペースと設備がきっちりそろえられていました。特殊なお風呂場のため、相当なお金がかかったらしいのですが、中崎さんは大きな借金をしてまでこのお風呂場を用意したのだそうです。「そんな大金払うくらいなら同じ金額でもっと有効な使い方があったのではないか・・・。」そんなことを少し思いながらそれはなぜかと問うと、帰ってきたのは意外な答えでした。

「〇〇さんにどうしても必要だったから作ることにしたんです。」

何とたった一人のニーズのために作ったのだからびっくり。ますます「この人の金銭感覚おかしいんじゃないか」とその時は理解が出来なかったのですが、まさにこの発言がその日見たもの全てに共通して現れていた点だったのです。

中崎さんは、何をする上でも、必ずそこに相手の「顔」があるのです。そうした個人個人のニーズに真剣に向き合った結果、周りにも同じ「ニーズ」がある人が自然と集まり、今の共生シンフォニー(文字通り)があるように思えました。そうして出来ていった全ての事業にも、つまり必然性があるのです。

社会生活を営む上で、人の役に立つ事とは、その人の大きな存在理由となりえます。しかし、福祉と言う制度に助けられている人は、絶えず社会の「お世話になっている」状態で、自分が人の役に立つ方法をたたれている場合が多いのです。そこで、クッキー生産を事業として行っている「がんばカンパニー」は、「働く事」によってお金とともに、「社会で役に立っている」という自信と存在意義を作り出そうとしています。また、来年始まる知的障害者のための「くれおカレッジ」も、養護学校までしか教育が保証されない人々にも一般の人が大学へ行って知識を身につけると同時に、師や友をみつけ、彼らと語りながら、生きる意味や、生きる喜びを見出せる機会を作り出す場がないという「ニーズ」に応えた試みです。「〇〇さんのために」を突き詰めた中崎さんと「共生シンフォニー」が、最終的に今老人デイサービスセンターまでもを手がけているのは、別段不思議ではないのかもしれません。「困っている人がいるから助けたい。」そんな当たり前であることを、中崎さんはやっているに過ぎないのです。

そういう意味で「障がい者福祉」という業種の分類は、中崎さんにとっては枷でしかないのかもしれません。「障がい者」という概念は「健常者」とよく対で語られます。この著しく二極化された概念によって、私たちの世界観が歪められているとは考えられないでしょうか。つまり、あたかも身体的にも知的にも障がいが無い人たちはあらゆる面で「健常」とされ、その際「障がい」があたかも自分とは無縁と思ってはいないでしょうか。「障がい」は本来、目的の達成を妨げるものであり、あって困るものという意味のはずです。なら、全ての人は必ず生活を送る上で「障がい者」となる瞬間があるとは言えないでしょうか。反対に、本来「障がい者福祉」というものは、国が制度化する以前に「困っている人を助ける」と言う点で、全ての人が当然のようにやっていくべきこととはいえないでしょうか。

これからこの「共生シンフォニー」という「理想」がどのように「現実」として根付いていくのか、
私は非常に楽しみです!皆様も、今後の展開を温かく見守っていてください!

学生伴走者 篠崎佑太

レポーター

現在、第四回公志園DVD製作志援メンバー募集中!